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深夜国アーカイブ

思い出を埋葬するばかりです。

シン・ゴジラを見て一介の学生なりに考えたこと

今さら「シン・ゴジラ」について書いてるよって恥ずかしい気持ちはありますけど、最近「君の名は。」を見まして。ちょっとウーン…ってなったんですけど、twitterでは評判だったりして。それで思ったことをまとめておきたいなと思ったんですけど、「君の名は。」を書くんだったら、あの時書くのを躊躇して書かなかったゴジラもちゃんと書かなきゃなーって思ったので、こうして書く次第です。

 

 

私なりの結論:

結論から言うと、「シン・ゴジラ」は大変よかったです。でも周りにいる古参のゴジラファンのスノッブ感あふれるツイートがとにかくウザくて死んでくれ、という感想です。映画単体としては本当に面白くて3回も見に行ったんだけど、体験としては何となく後味が悪い。その後味の悪さを拭い去りたい。そういう文章です......。

 

 

 

前提として(ここ読み飛ばして):

「私なりの」と上述しましたけど、これは私がゴジラファンとしてはかなりの新参で、言ってしまえば私はニワカで一介の学生なので、拙い論理や間違った知識もある程度は容赦してほしいという予防線であるわけです。これがどういう証拠になるか分かりませんが、見たゴジラ作品は下記しておきます。ニワカ度の一つの指標として。

 

私 の見たゴジラ作品/ゴジラ('54)/ゴジラ('84)/vsビオランテ/vsキングギドラ/vsデストロイヤ/vsスペースゴジラ/ミレニアム/大怪獣 総攻撃/メカゴジラ東京SOS/ファイナルウォーズ/GODZILA/すべて今年度に入ってから見ました。記憶はかなり薄く曖昧です。

 

 もう一つある理由としては、既出の感想とはちょっと違うことが言いたいと考えていたためです。「レイアウトがカッコいい!」とか「蒲田くんの動きが着ぐるみみたいで可愛い!」とか「石原さとみが成長に失敗しなかったアスカみたいだ!」とか、いろいろありますけど、そういうことは既出だと思うので。

 もし私と同じ意見や上位互換となる意見も存在するかもしれないけど、それでも「私なりに考えた」ということで一つ……。当然のこと言ってたら恥ずかしいけど。

 

 

 

クソな邦画について言いたいこと:

シン・ゴジラでは制作部等から要望のあった恋愛や家族、ジャニーズ的な要素を極力取り除いて、純粋なものを作ったから良かったという話が散見されます。私もそれはよく分かります。無駄な物はほとんどなかったと思う。しいて挙げるならば、映画監督にやたら似てる御用学者が出てきたり、ヤシマ作戦を思わせるテーマが流れたり、そういうオタクっぽいところが、クサくてウザいと感じる人もいるだろうなーと思う。そんな程度でした。

 私が何より嫌だなーと感じるのは、このシン・ゴジラの成功例を笠に着て従来的な映画関係者を叩く向きが現れたこと。従来的な映画関係者というのは、ディレクター側に圧力を掛けてしょうもない恋愛要素を加えさせたり、素人タレントを起用させたりして、邦画のクソを量産してるような人、そういう漠然としたイメージの対象です。あとは映画評論家とかでしょうか。一体誰を指してるのかよく分かりませんが、ともかく「かねてより映画関係者はシン・ゴジラのような方法論を採るべきだったのだ」という主旨で映画関係者を叩く向きを私は目撃しました。それがかなり不快だった。「シン・ゴジラ 映画関係者」でググればtogetterとか出てくる。

  気持ちは分かる。私も邦画の“邦画っぽい”ところはダメだ。「これだから邦画はクソなんだよ!」と思うタイミングは実に多い。この前劇場で見た「四月は君の嘘」の予告編がまさにそんな感じだった。ほんとクソだと思った(飛び火)。

 

それに対するカウンター:

でも一方で私は「映画関係者だって作りたくてそんなもの作ってるわけないだろ」とも思います。仕事だからやってるんだ。作らなきゃいけない理由がある。その理由を私はお金だと思う。

 絶望的にお金がない。クリエイター(制作会社)が貧乏なんだ。それはクリエイターの地位が低いということでもあるけど、その問題は今は置いといて。じゃあ、出資元にお金はあるのかというと、たぶんそれもない。不況だから。制作側にもないし、出資元にもなくて、たぶん代理店にもない。どこにも金がない。それでも、まだ比較的お金を持っている人の所へ行って誰かが営業しなきゃいけない。「金が稼げる」ということを第三者に証明しなければならない(しかもその第三者は必ずしも映画好きであるとは限らない)。

 不況では誰だって稼げるかどうか分からない映画よりは、確実に手堅く稼げる映画に投資するから、営業は「どのようにお金を稼ぐのか」「その映画でなぜ金が稼げるのか」に特化しなければならない。その時、流行のジャニーズやお笑い芸人、アイドルなんかは特に分かりやすい根拠になると思う。「このアイドルがこれだけ売れてるんだから、映画にはそのファンが来る。だからある程度のヒットは見込める」ということが言える。逆に、監督のこだわりや趣味、哲学なんかは「それがどうやって金になるの?」という説明が難しいから二の次にされる。それこそ庵野秀明みたいなビッグネームになれば話は変わるけど。

 結果的に上述したようなクソ要素が跳梁跋扈する全然面白くねークソ映画が出来上がる。売り上げはそこそこに低い。ネットの評判はそこそこに悪い。でも次の仕事は来る。

 従来的な映画関係者のやってきたクソな方法論っていうのは、そういう貧乏な台所事情に適応する形で出てきたもので、要はローリスク・ローリターンなものだと、私は考えるわけです。この方法論は短期的に見れば合理的ではないでしょうか。映画は一人じゃ絶対に出来ないし、時間と金と物に神経をすり減らす役割の人たちが必ずいて、その人たちの長年築き上げてきた方法論なんだと思う。それは否定できない。むしろ「邦画の歴史の中で面白い映画を作る方法論を確立させることが出来なかったのはクリエイター側なのでは?」と疑義が抱かれる(これに対するクリエイター側のカウンターも勿論あると思う)。

 

 

 

何がいけなかったのか?という話:

ただ、こんな風に「誰が悪い?」「あいつが悪い!」と責任の押し付け合いをしていても生産的じゃない。現に邦画業界は貧しいままだし、面白い映画も多いとは言えない。クソな延命処理が延々と続けられている。でもこのシステムは業界の自然な向きだし、ある種必要なものだから、日本が好景気になって映画業界全体が潤沢にならない限り改善されない。

 逆に日本に金が降って来れば、すぐに改善するのでは。クリエイターにあれこれ言わなくとも採算が取れると分かれば、制作側も無理に締め上げたりしないのではないか。「もしかしてシン・ゴジラってこの境界に位置してるんじゃねーの?」って思ったりする。「庵野秀明だからこの境界線まで来ることができたんじゃねーの?」って。

 あくまで「もしかして」だけど、でもこれがもし本当だとしたら、あまりにも出来過ぎてる。偶然じゃない。誰かが「今このタイミングで庵野×ゴジラを打ち出せば、邦画の方法論が見直される」と思って企画したのではないか。庵野を誘ったのは樋口だけど、でも東宝とか電通とか、まさに「映画関係者」と呼ばれる人たちもそこには一枚噛んでるような気がする。

 最近はこんなファンタジーみたいなことを考えます。

 ファンタジーでもこういう認識を持つ以上、従来的な映画関係者を批判する人たちには同意しかねる。

 

 

 

私は話が進むと妄想を展開したくなる癖があるようなので、ここから先はもう妄想です。

ここまでも妄想だったかもしれんが...

 

 

 

シン・ゴジラがこう見えたという話:

上述したような主観にあるので、私には「シン・ゴジラ」のゴジラ庵野秀明に、矢口が若いクリエイターに、ほぼ全員死亡した政治家たちが従来的な映画関係者に見えた。

 「合理的にやってるのに上手く行かない!」という邦画のかねてからの現状が、政治家の「ああしても勝てない!こうしても倒せない!」という姿に重なった。それに肉迫するゴジラ庵野秀明に見えた。政治家たち(=映画関係者)はたいてい死ぬけど、平泉成の里見総理は生き残ってたし、「すべて里見さんのシナリオだよ」というセリフが深いです。

 こういう見方を得て面白いなーって感じたのは、アメリカから核が降って来るって展開です。今邦画と洋画とじゃクオリティに差が出すぎててヤバイですけど、その辺りのことにも言及してるように見える。核が降って来る! 洋画に駆逐される! それだけはマズい! って若いクリエイターが奮起する映画。そんな風に見えました。「日本はスクラップ&ビルドでのし上がってきた」って代表的なセリフもあったけど、スクラップは庵野(=ゴジラ)がやったから、ビルドは若いクリエイターで頑張ろう! そんな風に若いクリエイターを激励する映画に見えた。これから邦画を良くしよう!って元気がもらえました (まぁ、私は消費する側なんだけど、でも映画業界に少しでもお金を落とそうと思います)。

 いい映画だったなぁ......

 

 

 

こんなところです。

思ったより長らく書いてしまった。